自分は何がしたいのだろうか

私がピアノを始めたのは、ゲームやアニメの音楽をピアノで弾けたらなあということでした。楽譜も当然ないことが多いので、自分で耳コピして、ピアノアレンジ出来るようになることが目標でした。ピアノの演奏自体にそれほど凝りたいと思っていたわけではなく、どちらかというと、後半の、耳コピ&アレンジに重点がありました。

そうは、言っても基礎的な技術がなければピアノは弾けないと思ったので、それなりにまじめにやろうと思って、レッスンに通っていたのですが、指摘を受けることは、そんなことまで、考えてピアノ弾くの?でした。ぶっちゃけ、レッスンに行くまでは、ピアノの鍵盤タッチにこれほど気を使う必要があるとは思っていませんでした。

押せば、音は出るんだし、精々、強く弾くか、弱く弾くか、音の大小だけだと思っていました。レッスンでは、音の一つ一つに、どういうタッチで弾けばよいか考えることを求められます。考えた上で、それを自分の指先でコントロールしなくてはいけません。ピアノってこんなに難しいのということを思い知りましたが、問題は、自分がそこまでのことを求めていたかですよね。

始める前の自分はそんなことも知りもしませんでしたの、当然求めてはいなかったです。じゃあ、今はというと微妙な感じですね。どちら方向に行ったらよいのかわからなくなってきているのです。そこまで、ピアノの技術を鍛えないと自分のやりたかったことが出来ないのかどうなのかがわからなくなってしまったのです。出来る出来ないでいえば、出来るに越したことはないのですが、私が本来やりたいことは、自分の好きな曲をピアノで弾けること。

演奏会などで人に聴いてもらうためではなかったのです。自分が満足できれば、それで十分。自分で自分を癒すために弾いているのです。なので、自分が満足できれば、そこまでの技術はいらないとも考えられます。それよりも、好きな曲を聴いて、楽譜を起こしたり、アレンジしたりする技術の方が重要です。

こんな、考えに至るのも、ピアノが予想外に難しく、奥行きの深い世界だったからです。あまりに深い世界なので、奥まで進んでいく気力がわかないのです。でも、レッスンに通っていると、そういう方向にどんどん進んでいってしまいそうです。確かに、自在に操れれば、こういう世界も楽しくなってきそうだとは思います。でも、そこに至るまでが、遠すぎる。精神的に参ってしまいそうです。

技術的にはほどほどにしておいた方が、自分のモチベーション的には良いのかもしれない。ピアノを習得する上では、モチベーションの維持が最も難しい課題なのです。正直、考え込むと深みに嵌ってしまいそうなので、なるべく気楽にいけるように心がけています。つまり、余計なことは考えないということですね。自分には出来ないとは考えない。出来る筈だと考えるということですね。

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