この本は、前回ご紹介した「今のピアノでショパンは弾けない」と同様、調律師の方が書いた本です。ただ、前回とは別の方です。
「ピアノがなぜ黒いのか」という疑問はあまり持ったことがありません。というのは、黒くないピアノは見たことがありますし、それほど珍しいものだとも思っていません。どちらかと言うと、黒いピアノより木目のピアノの方が好きです。黒は威厳がありそうですけど、親しみやすさがないですね。
さて、「ピアノがなぜ黒いのか」というのが問題ではなく、ピアノにまつわる数々の常識を疑おうと言うことなのです。常識と思っていることでも、実は海外では常識ではなかったりしますと言う話が書かれています。調律師さんの書いた本を読むといつもながら、アコピは良いなあと思います。欲しくなってきますが、住宅事情のため自宅には置けないんですよね。この本でも、電子ピアノよりアコピがよいというより、アコピじゃないと駄目という勢いです。
もちろん、そんなことは百も承知なのですが、私のように事情によりアコピを自宅に置けない人は沢山いらっしゃると思います。床の強度や、騒音問題、そもそも楽器演奏可かどうかなど、いろいろ問題はあります。調律師さんは電子ピアノは駄目だと仰るけど、こういった、生ピアノを置けない人にもピアノを練習できるようにしたという功績はあると思います。電子ピアノは駄目といってしまうと、アコピを置ける人だけがピアノを楽しめて、それ以外の人は諦めなくてはいけないとなってしまいます。
高度成長期には娘にピアノを習わせるのは一種のステータスであったという記述がありましたが、昔はまさにそんな感じだったのでしょう。でも、今はむしろ、大人の人が趣味として始めるケースが増えていると言われています。それだけ、敷居が下がったと同時に、ステータスとしての魅力も下がったのではないかと思います。実際問題、ピアノを買うことや、レッスンに通わせることはお金があれば出来ることですが。それで、実際ピアノを弾きこなして、さらには音大に進学という最大のステータスは本人の努力なしにはなしえないことです。ピアノを習うのは良家の子女というイメージは、単にお金だけの問題ではなく、たしなみとか立ち居振る舞いも含めてのことだと思いますので、ただ形だけを追ってもしょうがないのではないかと思います。
そういうことを考えると、最近、趣味としてピアノを始める人が多くなったのは良い傾向なのではないかと思います。ステータスではなく、楽しむためにピアノを弾くという姿勢は、音楽の本来あるべき姿ではないかと思います。昔に比べれば、ステータスとしての意味合いが減ったことで、電子ピアノの役割も増してきているのではないかと思います。ということで、この本読んでいるとアコピが欲しくなりますが、電子ピアノでも良いじゃないというスタンスでいたいと思います。
それにしても、調律師の方は熱い人が多いのでしょうかね。そうでない人も多いと思いますけど、こういう本書くような人は、ピアノへの情熱が人一倍ありますね。それがひしひしと伝わってきます。情熱を持てる仕事をしていると言うのは羨ましい限りですが、それは、情熱を忘れなかったと言うことなのでしょう。情熱を燃やし続けるのは簡単なことではないと思いますので、素晴らしいことだと思います。
ピアノはなぜ黒いのか (幻冬舎新書)